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「単身赴任の旦那さんを持つ若奥さんやね」
はやての言葉に、なのはは思わず苦笑いしてしまう。
フェイトが次元航海に出発した日の夕方、なのはは偶然会ったはやてに誘われて呑みに来ていた。
「ヴィヴィオは平気?」
「さっき連絡したら、なのはママも遊びたい年頃だと思うけどほどほどにね、って言われちゃった」
「そりゃすごいなー」
ヴィヴィオの答えを聞き、はやては思わず感心してしまう。
「本から受け売りの知識が最近、妙に多いみたいで」
「なのはちゃん顔負けの恋愛指南とかされる?」
「されるよー。この前も……」
まさか、そういった恋愛関係の本の大半を無限書庫ではなく、自分が勧めているとは言えず、はやては黙ってなのはの話を聞いていた。
悠久想歌 一章 迷路の出口の向こうには(2)
「お疲れ様、ティアナ」
目の前のモニターからテーブルの上に置かれたコーヒーへ、ティアナはゆっくりと視線を動かしていき――
「フェ、フェイトさん!?」
慌てて立ち上がったために、机の脚につま先をぶつけてしまった。
「大丈夫?あんまり根をつめすぎないようにね」
「……大丈夫です」
ティアナは恥ずかしそうに俯くと、マグカップを手に取った。
フェイトの補佐官になって2年目。そろそろ執務官試験も近づいてきたので、任務の合間の試験勉強は怠らない。
だけどそうなると、補佐としての仕事がどうしても疎かになってしまいがちで、今のようにフェイトから休憩と称してコーヒーを煎れてもらうことも多くなった。
フェイトはそんなことは気にしなくていいと言ってくれるが、ティアナとしては申し訳ない気持ちが消えない。
だが、謝ったところで困ったような笑顔を返してくるのがフェイトである。
それがわかるから、ティアナはお礼の言葉を述べ、彼女の好意に甘えることにしている。
「そういえばフェイトさん。口紅の色変えたんですか?」
ティアナはコーヒーを飲みながら、今朝、フェイトに会ったときから気になっていたことを尋ねた。
初めは気のせいかと思ったがこうして近くで見るとよくわかり、いつもより少しだけ明るい色をしている。
「なのはがね、うん……」
「ああ、なるほど」
恥ずかしそうに頬を染め、じっとマグカップを見つめるフェイト。「うん」の後に続く内容がティアナには何となくわかった。
仕事をしている時はいつも凛々しい姿の上司も、恋人の話となると別である。
ティアナがなのはとフェイトの関係を知ったのは偶々。シャーリーという愛称で親しまれる先輩補佐官のぽろっと零した言葉がきっかけだった。
元々、フェイトとなのはの仲が良いことは知っていたし、一緒に住んでいるという話も聞いていたのだが――
「フェイトさん、ここ」
シャーリーが指をさした位置にティアナも思わず視線を動かしてしまった。
何かに噛まれたような跡。
「フェイトさん犬とか飼ってたかしら?」と考え始めたティアナの目の前で、フェイトは普段あまり見せない慌てっぷりで弁明を始めた。
「これは、その昨日、」
「昨日なんですか?」
「だから、別に何でもなくて……」
どんどん顔が赤くなっていき、声も小さくなっていくフェイト。それをおもしろそうにシャーリーは問い詰めていく。
「でも、これ。誰かに噛まれたみたいですけど?」
シャーリーの言葉にティアナは少しずつ事情を飲み込み始めた。
(フェイトさん、昨日は――)
相手が誰かはわからないが、その時のフェイトの姿を想像してしまい、ティアナは思わず頬を赤らめた。
局内でも人気が高いフェイトの恋人である。
相手もそれなりのルックスなり、注目度がある人だろうと勝手な妄想を広げながら、ティアナは子供のように恥ずかしがるフェイトを見ていた。
しかし、次のシャーリーの言葉にティアナは耳を疑う。
「なのはさんって、意外と大胆なんですね」
「シャーリー!!」
まるで喋っては駄目だというようにフェイトはシャーリーの口に手を伸ばした。その後、フェイトの首がゆっくりと回り、フェイトとティアナの目がばちりと合う。
「ティアナ…………聞いてた?」
「ええっと、一応……」
何が一応なのかわからないが、ティアナはしっかりと頷いた。
すると、さっきまでは顔を赤くしていたフェイトが、みるみる泣きそうな顔になっていく。
フェイトさんの表情はころころ変わっておもしろいな、とどこかずれた感想を持ちながら、ティアナはシャーリーの言葉の意味を考えていた。
顔も名前も知らないフェイトの恋人。首についている歯型。なのはが大胆だという話。
それらを全て繋ぎ合わせると出てくる結論は――
「もしかして、フェイトさんが付き合ってる人って」
まさかという思いがあった。しかし、不思議なことにどこか納得できる部分もティアナにはあった。
休暇中何をしていましたかとフェイトに尋ねれば、エリオとキャロの話が出るか、なのはとヴィヴィオの話が出るか――そのどちらかだった。
元々、休暇は多いほうではない。フェイトの恋人が同じ艦にいる人の可能性もあるのだが、それならばシャーリーが普段からもっと弄っているはずだろう。
「なのはさんなんですか?」
ティアナの言葉にフェイトがくしゃっと表情を崩す。
「シャーリーのばかー!!」
そして、まるで捨て台詞のようなものを残して、部屋から出て行ってしまった。
フェイトとなのはの関係を知ってから、ティアナはシャーリーから色々な話を聞いた。
真偽は明らかではないが、2人の部屋にあるベッドがキングサイズである理由やバリアジャケットのデザインの話。さらには煮え切らない2人に痺れを切らしたはやてが吊り橋効果を狙った作戦を立てたことなど――
どうやら2人が今の関係に至るには、かなり険しい道のりだったらしい。
「女性同士だからできることですよね」
ティアナの言葉にフェイトは首を傾げた。
「男性だったら、アクセサリーとかで相手の気持ちを繋ぎとめていたいって言うじゃないですか」
しかし、フェイトとなのはの場合は違う。
もちろん、お揃いの指輪は持っているのだが、任務の最中に壊れてしまうと困るので2人とも仕事の時は嵌めていない。
「でもフェイトさんたちの場合は違うんだなー、と思いまして」
ティアナはにこりと微笑むと、フェイトの口を指差した。
「それ、なのはさんが昨日まで使ってたものなんですよね?」
その言葉を聞いたフェイトはさらに頬を赤らめ、小さく頷くと唇を指でなぞる。
なのはがいつも付けているものを自分がつけていると思うと、なんだかくすぐったい感じがした。
想い、想われ。幸せな時。
大切な人たちは今頃、何をしているのだろうと考えながら。
きっとこのまま何も変わらないのだろうと思いながら。
フェイトはまたしても動き始めた運命に翻弄される時が迫っていることを知らない。
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